前回エベン・アレクサンダーさんが
臨死体験の最初のステージである地獄
のような場所から、見たこともない
ような光や聴いた事もない音楽に
導かれて脱出できたというところまで
ご紹介しました。
別世界に導かれてエベンさんがみた
ものは、何だったのか。
今回はその事について、またエベンさん
の著書から引用させていただきながら、
また考察を加えていきたいと思います。
「」内が引用です。
~以下引用抜粋~
「まぶしく輝き、活気に満ちて、うっとり
させられる。目が眩むような・・・どれほど
形容詞を連ねてみても、その情景と感動は
表現しきれない。~
~下には田園風景が広がっていた。青々と
したみずみずしい緑の・・・地面。
地面ではあったが、同時にそれは地面では
なかった。~
~未知の場所、それとも忘れていたはずの
場所なのだが、見回すと妙に心惹かれる
ものがある。深い部分のどこかが、いまでも
そこを忘れておらず、戻ってきたことを
喜んでいる。そんな場所だった。
私は木や野原、小川や滝を見おろしながら
飛んでいた。あちこちに人の姿も見えた。
楽しそうに遊んでいる子供たちの姿も
あった。
みんなで輪になって歌い、踊っている。
犬がその足元で嬉しそうに跳ね回っている。
人々は質素だが優美な服をまとい、服は
周囲の緑や花々の潤いを映し出す色合いを
していた。
ただ美しい、夢のような世界・・・」
~引用終了~
“出典:「プルーフオブヘヴン」
エベン・アレグザンダー著
白川貴子訳
早川書房刊”
この夢のような天界のような世界を、エベン
さんは、「戻ってきたような世界」として
認識しているところに注目していただきたい
のです。
つまりは、この高次元の世界が、本来
の我々の世界なのです。実は、私たちが、
今生で体験している人生としての現実は、
この本来の世界の「BAD COPY」
つまり、本物にみせかけた偽の現実だと
いう事なのです。この事は、古来からの
伝説にもありますが、その事については
また別の記事で説明したいと思います。
さて本来の世界は、このように愛する人
たちと、美しい自然のなかで、歌ったり、
踊ったりしている天界のような風景で
あり、これが我々のいるべき世界だという
事なのです。
ここで、振り返って、生きている間の夢
やイメージと比べれば、どれだけの
意識レベルかを測る目安にもなるのです。
たとえば、普段から「お金」「名声」
「地位」「称賛」「贅沢な生活」「豪華な
住まい」「快楽を求めるのみの性欲」
「宝石や高価な物」などをイメージするか
、「美しい自然」「美しい音楽」
「愛する人」「愛する人たちと喜びや
楽しみ、笑いなどを分かち合うこと」
「情のかようあたたかい生活」「友情」
「仲間との絆」「生きがいや、やりがい
に対する情熱」などをイメージするかで
肉体を離れたあとに、どれだけ高次元に
いけるかも変わってくるという事です。
まあ具体的でなくとも、愛があり、美しい
ものや楽しい事や、分かち合うことが望み
につながっているのなら、やはり天界に
いける可能性は高いという事です。
ただ先にあげた方の意識でも、邪悪な心、
冷たい心でなければ、それほどひどい
次元にいくことはないと思われます。
次回は、エベンさんがやがて天界での
導き手のような美しい女性に出会う
ところからまたご紹介していきたいと
思います。
では(^_^)
まだ完全という訳ではありませんが、以前と比較すると、私も所謂世俗的欲望はなくなりつつあります(^-^)
謙信さんありがとうございます(^^)/
それは素晴らしいですね。
いろんな執着から、抜け出せると
次元の高い意識レベルになるのだと
思います。
もちろん適度な楽しみは、お互いに
大事にしましょうね(^^)/